生きるとはどうしてこんなにもつらいものかと思うことが誰しもあるだろう。
時にはもう何もかもが嫌だと人知れずむせび泣く者もある。
かく言う私も、世の中のすべてのことがまるで煮えたぎる湯のように感じて条件反射的にこの世から飛び出たくなることもある。
しかし、そんな時にこそ、たとえ無感情になってでも何かに取り組んでみることを勧める。
誰もが何かに見守られているように感じることがあるが、それは少なくとも自分自身はつぶさに自分を見守っているからではないか。
誰も見ていないからと不道徳なことをする者もあれば、人知れず善きことを行える者もあるが、少なくとも自分自身はそれを逃さずに見て、覚えている。
そうした記憶の積み重ねが人の性根を決めるのである。
そして絶望に染まり心が奈落へ堕ちようというときにこそ奮い立った者もまた、たとえその時は無感情であったとしても、その尊き戦いを心の片隅でずっと覚えているのである。
かく言う私は、絶望の淵に飲まれたときには、毎夜の日課ながら特に努めて走ることにしている。
走れば涙は乾くものである。
尊いこと
- 2019-12-13
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